お願いのひと言が喉まで来て、そのまま引っ込んだこと、ありませんか。
忙しいだろうな、と思って。これくらいは自分でやるべきだよな、と思って。この前も世話になったし、と思って。
結局ひとりでやります。徹夜になっても、倍の時間がかかっても。そしてあとから誰かに「なんで言わなかったの」と言われると、返す言葉がありません。
お願いが、借りのように感じられるからです
お願いができない理由をたどると、だいたいここに集まります。お願いが借りのように感じられるということです。
一度助けてもらうと、その分返さないといけない気がします。楽だった関係に、計算がひとつ入ってくるんですよね。その計算が生まれるのが嫌で、いっそ自分がしんどいほうを選びます。
断られたときも怖いです。断られること自体より、その人との関係がその程度だったと確認してしまいそうで。確認するくらいなら聞かないほうがいい、と判断してしまうんです。
でも、本当の理由は別にあります
ずいぶんあとになって気づいたことがあります。
お願いができない人は、たいてい断れない人です。
自分がお願いをされたらどうなるか、知っているからなんですよね。忙しくても断れないし、やりたくなくてもやってしまうし、何日か気持ちが落ち着かない。その経験があるので、相手もそうなるだろうと思ってしまいます。
だから自分がお願いをすると、相手も断れずに無理をするような気がするんです。その瞬間、お願いは依頼ではなく強要になります。自分の頭の中で。
自分の基準を相手にかぶせているんです
でも、それは本当でしょうか。
多くの人は、できないときはできないと言います。申し訳なさそうにもしません。「あ、その日は難しそう」で終わって、次の週には何事もなく会います。
つまり、自分が断れないという事実を、相手にもそのままかぶせているんですよね。相手は断れる人なのに、自分と同じく断れないはずだと先に決めてしまっている。
配慮しているつもりでしたが、実は相手から断る機会を奪っていたことでもあるんです。
断る余地も一緒に渡してください
そこでおすすめしたいのはこれです。お願いに断る余地を一緒につけること。
「もし難しかったら遠慮なく言って。別の方法を探せばいいから。」
この一行をつけると、二つ変わります。
相手は本当に断れるようになるので、負担がぐっと減ります。そして自分が楽になります。 強要していないと自分で分かっているからです。お願いを止めていたのは相手の負担ではなく、自分の罪悪感だったと気づきます。
小さなお願いから試してください
それともうひとつ。お願いは大きさを下げるとずっと楽になります。
私たちはたいてい、どうにもならなくなるまで我慢して、結局大きなお願いをすることになります。すると相手も負担ですし、自分も申し訳ない。お願いの難易度を自分で上げてしまったわけです。
小さなお願いは違います。これちょっと見てもらえる、このファイルどこにあるか分かる、といったものです。
小さなお願いは関係を削りません。むしろやりとりした痕跡ができて、次のお願いが楽になります。一度もお願いしたことがない間柄は楽そうに見えて、実は何も行き来していない間柄でもあるんですよね。
まとめると
- お願いが難しいのは借りのように感じられ、断られたら関係を確認してしまいそうだから
- 本当の理由は別にある。お願いができない人は、たいてい断れない人
- だから自分のお願いが強要になると思ってしまう。自分の基準を相手にかぶせている
- お願いに断る余地を一緒につけると、相手も自分も楽になる
- 小さなお願いから。 やりとりの痕跡ができると次が楽になる
ただ、これで足りない時もあります
- 眠れない日が続く、または眠りすぎる
- 食べるのがつらい
- 洗う・掃除といった基本的なことができない
- 自分を傷つけたくなる
そんな状態なら、記録で解決しようとしないでください。その時は、専門家に会うのが正解です。記録は心を整理する道具で、治療ではありません。
私は心の専門家ではありません。ただ、話す場所がなかったことのある人間です。
🌲 私は「名もなき森」という匿名の記録の場所をつくっています。
コメントも評価もなく、ただ書きとめるだけの場所です。
誰にも負担をかけなくていい場所です。
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